活動報告・レポート
2025年12月8日(月)
菅宮勝太郎氏講演会の企画会議
茶道部例会

和歌山文化協会茶道部例会に出席しました。今年最終の例会では、簡易なお茶席を用意し、「令和8年の上半期と下半期の行事計画」「家元を訪ねる日程」などを協議しました。また今年一年の活動を総括して締め括りました。

また折り紙で作成した毬と爪楊枝入れを配ってくれたので、これを「台湾から来てくれる方々へのお土産にする」ことを決めました。茶道と折り紙は日本の文化ですから、日台の文化交流につなげたいと考えています。

また茶道部会長から「片桐さん、盛り上げの一声を上げてください」と依頼があり、県政報告と共に「頑張ろう」の掛け合いコールを行い、茶道部一年の活動の締め括りを行いました。新しい年も茶道部の活動が健康で元気なものになることを願っています。

茶道部例会 お茶席 茶道部例会 折り紙の毬と爪楊枝入れ
菅宮勝太郎氏講演会の企画会議

来春に計画している、台湾台東縣から来県する陳さんの講演会に関する企画会議を行いました。陳さんの講演会の前段に歓迎セレモニーとして演歌と演武を行い、盛り上げを図ることにしました。また講演会場前にお店を出展し、「台湾カステラ」「台湾混ぜそば」「タピオカドリンク」を用意して来場者に台湾の食を味わってもらうことも検討しました。加えて台湾茶を用意して台湾のお茶を味わってもらうことも考えています。元々、台湾茶と抹茶の文化交流が始まりで、そこから災害時の相互支援やコロナ禍での物資支援などに展開し始めました。そこから観光や教育、物産品の交流へと発展させていますが、根底にあるのは文化交流ですから、台湾台東縣の都市づくりに尽力した日本人、菅宮勝太郎氏の講演を陳さんが担当してくれます。

菅宮勝太郎氏に関する資料は少ないのですが、台湾との関係について情報をいただきました。

菅宮勝太郎は1922年11月、当時「麻荖漏(その後、新港と改称)」と呼ばれていた台東県の片田舎の港町に「支庁長」の身分で派遣された。菅宮は港湾建設や街道整備、下水道の普及、「台11線」の前身となる道路などのインフラ建設に取り組んだ。また、日本の漁村からカジキマグロの伝統漁法「突きん棒漁」を導入。その結果、新たに建設された港は「新港」と命名され、台湾の東海岸最大の漁港となり、台湾の72%を占めるカジキマグロの産地となった。

1932年に新港の建設が完了すると菅宮勝太郎に異動の辞令が下りた。しかし、菅宮は自分が作り上げた新港を守るため、辞職を決意。同時に、新港漁港を見下ろせる場所に邸宅を構えた。菅宮の楽しみは、その2階のバルコニーでコーヒーを飲みながら、故郷に似た新港の漁港を眺めることだったという。菅宮は1943年3月、病気のため逝去。現在の国立成功商業水産職業学校の敷地内に埋葬され、新港の土と化してもなおこの地を守っている。

菅宮勝太郎氏は茨城県出身で和歌山県との関係はないのですが、日本人が台湾復興に尽力した歴史を知ることは大切なことだと思います。陳さんとのご縁により、和歌山市内で菅宮氏に関する講演会を開催できることを嬉しく思っています。

中学校の時の担任の先生

久しぶりのことに中学校一年生の時の担任の先生が連絡をくれました。

「片桐君、元気にしているんか。君には資質がある。君ならやれるから応援している」と連絡をもらいました。

先生から懐かしい声を届けてくれたことに感謝しています。先生は当時、体育の教師で教室でも運動場でも元気いっぱいでした。授業開始の時には必ず「アイソメトリックス」を日課にしていました。「アイソメトリックス」とは両手の指を組んで引っ張ることで力を強くする方法です。

インターネットで調べてみました。

アイソメトリックスとは関節を曲げたり伸ばしたりせず、ある姿勢を一定時間保つことで筋肉に負荷をかける静的な筋肉トレーニング方法です。例えば、腕相撲で互いの力が拮抗して腕が止まっている状態は、筋肉の長さが変わらずに力を入れていることになります。この状態を意識的に作り出すのです。

ということです。

先生からの連絡によって当時のことを思い出しました。