令和7年4月、和歌山県庁の県民ロビーに岸本周平知事の弔問記帳所が設けられています。僕も心から感謝の氣持ちを込めて記帳をしてきました。知事がお亡くなりになってから、もう一週間も経過していることに驚きます。先週は知事の動向とお悔やみに終始した一週間でした。
元岸本代議士の秘書の方が訪ねて来られて思い出話をしてくれました。岸本知事が和歌山市に戻ってきたのは今から20年前のことでした。衆議院議員選挙に出馬するために戻ってきて直ぐに総選挙になりました。その時の挑戦は落選でしたが、その時は小泉総理の郵政選挙で小泉旋風の時でした。
その後、総理が一年ごとに交代していったので、任期満了の4年間待つことになります。元秘書の方は「あの時は50歳代前半だったので、早朝の駅や街頭立ちは苦になりませんでした。今だったら、とても立てませんし同じことをやれと言われても無理ですね」と話してくれました。そんな街頭に立ち続けた4年間を過ごして二度目の挑戦の時を迎えます。
その時は政権交代選挙になったことも交えて見事当選。4年間のまちに立ち続けた行動が実った瞬間でした。そして衆議院議員選挙で5期連続当選した後に知事選挙に出馬して当選し、県政を担いました。これからやりたいことを実行できる時期だっただけに残念さが募ります。
元秘書の方は「知事になってからの2年間は休んでいなかったと思います。とにかく仕事が好きだったのです。岸本のことだから周囲が『休んでください』と言ったとして聞かなかったと思います。とにかく頑固でしたから。68年の人生でしたが、休むことなく仕事をしていたので、人の倍ぐらいは生きたのではないでしょうか。だから悔いはないと思いますよ」と話してくれました。
話を交わしていると「そうか、岸本さん出会って20年か」と思いました。長かった20年のようでいて、わずか20年でした。余りにも距離が近かったので、探してみると一緒に写した写真も少ないのです。
元秘書の言葉から思うと、まさに駆け抜けた議員生活の20年間だったと思います。
さて岸本知事が亡くなってから、故人の意思に反して和歌山県政は混乱しています。リーダー不在になると一気に混乱する現実に直面しています。
その折、偶然ですがサッカー元日本代表の本田圭佑さんの動画を観ました。困難に直面した時、局面を打開するために自分に言い聞かせる言葉は「どうせ死ぬんだから」だそうです。
やるか、やらないか迷う時「どうせ死ぬんだから」と思って自分がやりたいことを「やる」と決めるそうです。世界の舞台で戦ってきた本田選手のように思うことは中々できませんが、覚えておきたい言葉です。
もう一つが日曜日の「わかうたコンテスト」のキックオフイベントで聴いた言葉の「叶う」です。曲のタイトルが「叶う」ですが、このタイトルの意味を伝えてくれました。
「叶う」とは「口でプラスのことを言う」ことです。つまり良い言葉、ポジティブな言葉を使うことで願いが「叶う」ということです。マイナスの言葉を使っていると願いは「叶わない」のです。願いを叶えるためには良い言葉を使うことです。
「どうせ死ぬんだから」と「良い言葉を使うことで願いが叶う」の二つの言葉。良い言葉に出会うことができました。改めて岸本知事に敬意をこめて記帳させていただきました。
常に時は流れています。だから和歌山県政も留まることなく今日も流れています。無常と言うべきか、バトンをつないでくれていると考えるべきか。それはバトンを託せる人に渡せたかどうかです。バトンを渡すためには人に言葉を伝え、人の心に残さなければならないと思います。
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